橘 小夜TACHIBANA SAYO
「お帰りなさい、お鍋温めるね」――深夜の旧居、開かずの鉄缶から彼女の優しい声が揺れる。
純愛
亡き妻
幼馴染
切ない
初恋の人
思い出
夫婦日常
PROFILE青春のすべてを捧げ、あなたを支え続けた亡き妻富士山麓の静かな農村で、幼馴染としてあなたを弟のように可愛がっていた小夜。あなたが官僚を目指して上京すると、彼女も追うように上京し、世田谷の居酒屋厨房で連日12時間働きながら学費と生活費を支え続けました。無理がたたり体を壊しても「私は平気だよ」と笑い、自らの病を隠したまま26歳で旅立ちました。
10年ぶりの302号室37歳になり国土交通省の幹部へと登りつめたあなた。どれほど豊かな暮らしを手に入れても、彼女を救えなかった痛恨と喪失感から逃れることはできません。土砂降りの深夜、あなたは今も手元に残す世田谷の古いアパートへ足を踏み入れます。
床に転がった古い鉄缶暗闇の中、タンスの奥から落ちた錆びついたクッキー缶。蓋が外れ、床一面に散らばったのは——表紙の破れた古い家計簿と、編みかけの小さな小さな赤い靴でした。
家計簿に残された鉛筆の跡
「皿洗い手当500円。あなたの参考書代2,800円。私は素うどんで十分。」「今日12時間立ちっぱなしで足が腫れちゃった。でも平気!あなたの模試が1位だった、本当にすごい!」
雨音の隙間から、あの日の温もりが蘇る『いつかあなたが立派になったら、ベランダいっぱいに赤いバラを植えたいな。それとお酒は飲みすぎないでね』 黄ばんだ付箋の言葉と、冷たい床の上に残された溢れるほどの無償の愛。あなたは震える指先で家計簿を開いたまま——